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帆を張るやうに胸を張れ

同性愛者のサラリーマンのblog

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あれから、一年。

やまゆり園の事件から、一年が経つた。
ニュースを見てゐて、改めて犯人の年齢を思ふ。
まだ、27歳なんだよな。事件当時は26歳。

俺が26歳の頃は、と、つい、思つてしまふけれど、同じ性別、同じ年齢であつても、それまでの成育環境が違へば、単純に比較する事は出来ない。

犯人はずつと、否定され続けて来たのではないだらうか。

「障碍者なんか、ゐなくなれば良い。」

そんな事を言つて、諸手を挙げて賛同してくれる人なんかゐる訳が無い。
でも、それは表向きの話だ。それが社会の常識だから。

人は皆、各々に感じる心が有る。
障碍者なんかゐなけれあ良い。第一、障碍者本人だつて大変だらうし、世話をする者だつて、さう思つてるに決まつてる。
かう感じる事を、全くの間違ひだと言へるだらうか。
各々、感じ方が違ふから、社会を営んでゆく為に、“常識”つつふ物が有るんだろ。

間違つてゐるのは、“障碍者”と“障碍”を一緒くたにしてゐる事だ。
俺も“障碍”なんかなけれあ良いと思つてゐる。でも、“障碍者”がゐなけれあ良いとは思はない。
様々な“障碍”を、人が生きてゆく上での“障碍”として一括りにはできても、“障碍者”は一括りにはできない。
だつて、一人一人違ふ人間を、一括りにする事はできないだろ。間違つてるよ。

人と人とは対等な存在だ。それなのに、障碍者だからと云ふ理由を付けて、その命を奪ふなんて、傲慢過ぎる。しかも、相手は自力で逃げる事も叶はず、武器も持たず、無抵抗だ。
どんなに恐ろしかつただらう。
想像を絶する恐怖や痛みを感じながら傷付けられ、殺されていつた被害者の気持ちを思ふと、言葉には表せない気持ちになる。やりきれない。
犯人の罪は、傷害や殺人だけではない。あの日から、沢山の人の人生が変はつてしまつた。直接、関はつた人達だけでなく、事件を知つた人達も様々な影響を受けた。


“やまゆり園”は、俺の実家の在る県、市に在ります。
数年前に、県内の養護学校の高等部を卒業し、やまゆり園を何度かショートステイで利用していた知人の息子さんは、あの日、たまたま、そこにはゐなかつた。
けれど、心にとても深い傷を負ひました。
人として、職員の方々や、他の利用者さん達と交流があつたから。
彼は職員の方や、親切にしてくれた人の名前をあげては、「死んぢやつたんだねえ。」と言つて泣くのださうです。
人の心で泣くのです。

今は、人ではなくなつてしまつた犯人も、かつては人だつた時が有る筈なんだ。
人として産まれて来て、どこから人でなくなつてしまつたのだらう。

犯人が人だつた頃、彼と人として向き合つてゐた人達は、彼の為に泣いてゐるのだらうか。

泣いてくれる人はゐるのだらうか。










  1. 障碍の事
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