リッチなのかセコイのか。
恥ずかしいエプロン。
同僚が営業の途中で見つけた饂飩屋の、カレー饂飩がとても美味かつたと言ふから、連れていつて貰ひました。
少し時間が掛かる所に在るので、昼休みでは間に合はないと踏んで、あくまでも営業に出掛けるのだと云ふ体で営業車に乗つて行つたんだけど、出しなにA沢に声を掛けられて危なかつたです。
どうして奴は、あんなに勘が働くんだらう。
そんなこんなで出掛けた饂飩屋さんは、俺達のやうなスーツのサラリーマンでいつぱいでした。着物に割烹着姿のおかみさんがゐらして、あちこちから掛かる声に笑顔で答へてゐます。
ママンよりも少し若いくらゐかなあ。愛らしい丸顔と、うなじから肩に掛けてのなだらかなラインがなんとも言へない品を醸し出してゐて、ついつい目で追つてしまひます。
俺が見とれてゐると、此方のテーブルにも回つて来ました。
「カレー饂飩、ふたつね。」
同僚が注文して俺が頷くと、おかみさんは「はい。」と深く頷き、お茶をテーブルに置いて厨房の方へ。それから、何か薄い紙で出来た物を持つて来ました。
「これ、お使ひになつて。」
薄い紙の何かは、あれでした。焼肉屋とか、ステーキを食はせる店で出てくるエプロン。
実は俺、あれが苦手なんだよね。上手く付けられなくて、首の所を破いてしまふのです。
「ぬ。」
俺の“事情”をよく判つてゐる同僚は、にやにやしながら紙エプロンを差し出します。
いくら苦手だとは言へ、敵はカレー饂飩です。丸腰で挑むほど、俺も怖いもの知らずではありません。
「また、セロテープで貼ればいいぢやん。」
同僚が馬鹿の一つ覚へのやうに、昔の事を持ち出してきました。上司の行き付けのステーキハウスで紙エプロンを破つてしまひ、店の人が新しい物を取りに行つてくれたのに、同僚がふざけてレジに有つたセロテープで貼つた事が有つたのです。
まあ、いい。カレー饂飩が来たら、サッと付けてサッと食つてしまはう。
「…ありがたう。」
俺はにこやかに礼を言ひ、紙エプロンを受け取りました。
暫くしてカレー饂飩が到着しました。運んで来たのは白衣の男の子なのですが、俺が箸を取らうとすると、件のおかみさんが近づいて来ました。
「エプロン、お使ひになつて。」
「あ、はい。」
困つた。同僚はどつちでも良いけれど、もたもたしてゐる所を、おかみさんに見られたくありません。
おかみさんはなかなか紙エプロンを付けやうとしない俺を不審に思つたのか、なかなかテーブルを離れてくれません。
「こいつ、かう云ふの苦手なんですよ。ヘタクソなの。」
おい、こら。
「あらあら。」
それを聞いたおかみさんは、聖母のやうな微笑みを浮かべて、俺の手から紙エプロンを取り上げました。
「や、いいですから!自分で!」
ヤバイ、と思つた時にはもう遅く、おかみさんの小さな手で、俺の首に紙エプロンは巻かれてしまつたのです。
うおー、恥ずかしい!!
同僚は子供かよと言ひながら、笑ひ悶へてゐます。
隣の席のサラリーマンが俯いて咳払ひをする振りで笑つてゐます。
君達はネクタイにカレーが跳ねて、クリーニングに出すやうになればいいと思ふよ。
勿論、カレー饂飩は大変美味しうございました。お新香もサラダも。
でも、当分、行かないよ。
少し時間が掛かる所に在るので、昼休みでは間に合はないと踏んで、あくまでも営業に出掛けるのだと云ふ体で営業車に乗つて行つたんだけど、出しなにA沢に声を掛けられて危なかつたです。
どうして奴は、あんなに勘が働くんだらう。
そんなこんなで出掛けた饂飩屋さんは、俺達のやうなスーツのサラリーマンでいつぱいでした。着物に割烹着姿のおかみさんがゐらして、あちこちから掛かる声に笑顔で答へてゐます。
ママンよりも少し若いくらゐかなあ。愛らしい丸顔と、うなじから肩に掛けてのなだらかなラインがなんとも言へない品を醸し出してゐて、ついつい目で追つてしまひます。
俺が見とれてゐると、此方のテーブルにも回つて来ました。
「カレー饂飩、ふたつね。」
同僚が注文して俺が頷くと、おかみさんは「はい。」と深く頷き、お茶をテーブルに置いて厨房の方へ。それから、何か薄い紙で出来た物を持つて来ました。
「これ、お使ひになつて。」
薄い紙の何かは、あれでした。焼肉屋とか、ステーキを食はせる店で出てくるエプロン。
実は俺、あれが苦手なんだよね。上手く付けられなくて、首の所を破いてしまふのです。
「ぬ。」
俺の“事情”をよく判つてゐる同僚は、にやにやしながら紙エプロンを差し出します。
いくら苦手だとは言へ、敵はカレー饂飩です。丸腰で挑むほど、俺も怖いもの知らずではありません。
「また、セロテープで貼ればいいぢやん。」
同僚が馬鹿の一つ覚へのやうに、昔の事を持ち出してきました。上司の行き付けのステーキハウスで紙エプロンを破つてしまひ、店の人が新しい物を取りに行つてくれたのに、同僚がふざけてレジに有つたセロテープで貼つた事が有つたのです。
まあ、いい。カレー饂飩が来たら、サッと付けてサッと食つてしまはう。
「…ありがたう。」
俺はにこやかに礼を言ひ、紙エプロンを受け取りました。
暫くしてカレー饂飩が到着しました。運んで来たのは白衣の男の子なのですが、俺が箸を取らうとすると、件のおかみさんが近づいて来ました。
「エプロン、お使ひになつて。」
「あ、はい。」
困つた。同僚はどつちでも良いけれど、もたもたしてゐる所を、おかみさんに見られたくありません。
おかみさんはなかなか紙エプロンを付けやうとしない俺を不審に思つたのか、なかなかテーブルを離れてくれません。
「こいつ、かう云ふの苦手なんですよ。ヘタクソなの。」
おい、こら。
「あらあら。」
それを聞いたおかみさんは、聖母のやうな微笑みを浮かべて、俺の手から紙エプロンを取り上げました。
「や、いいですから!自分で!」
ヤバイ、と思つた時にはもう遅く、おかみさんの小さな手で、俺の首に紙エプロンは巻かれてしまつたのです。
うおー、恥ずかしい!!
同僚は子供かよと言ひながら、笑ひ悶へてゐます。
隣の席のサラリーマンが俯いて咳払ひをする振りで笑つてゐます。
君達はネクタイにカレーが跳ねて、クリーニングに出すやうになればいいと思ふよ。
勿論、カレー饂飩は大変美味しうございました。お新香もサラダも。
でも、当分、行かないよ。
寿司の話。
俺に寿司や刺身の美味さを教へてくれたのは、某寿司屋の大将です。
元々、魚は好きだつたんだけど、実家にゐる時は食べにゆくのも出前を取るのも、親父の馴染みの寿司屋と決まつてゐたから、一度も他の寿司屋で食べた事はありませんでした。
バイトを始めてから、バイト仲間と回転寿司に行つたんだけど、当事の回転寿司は、今とは違つてとても寿司とは呼べない代物で、一回で懲りたつけなあ。
社会人になつて実家を出てから、一人で寿司屋にゆくやうになりました。
初めは東京生まれの同僚に教へて貰つたり、“東京食べ歩きガイド”みたいなのを読んだりしながら、恐る恐る暖簾をくぐつてゐたけれど、同じ寿司なのに店によつて違ふのが楽しくて、途中から趣味みたいになつてゐました。
その頃に出逢つたのが大将です。
大将はマグロに拘つてゐて、様々なランクのマグロの様々な部位を、それぞれの持ち味を生かして料る事に、生き甲斐を感じてゐると言つてゐました。
俺みたいな、たいして味も判らず金も使はない若造にも、いつもにこやかに接してくれて、何度か通ふうちに、マグロに纏はる色々な話を聞かせてくれるやうになりました。
大将の店は大きくはないけれど、何人もの修行中の板さんがゐました。
一番長い人で15年。この人はいつも大将の脇にゐて、いはゆる“花板”さん。一方、座敷とカウンターを忙しく往き来して、おかみさんの手伝ひをしてゐたのが、一番若い17の男の子で、店に来てまだ一年と云ふ事でした。
ある日の事、大将と寿司の美味さについて話してゐた時に、大将がふと思ひついたやうに、何人かの男の子を呼び寄せました。
カウンターの中、花板さんの横に、7年、5年、そして1年生の男の子が並びます。
男の子達は突然の事に、やや不安さうにお互ひの顔を目だけで見てゐました。
他のお客さんの注文に応じてゐた花板さんは、弟弟子達の顔をちらりと見てクスリと笑ひました。
大将は男の子達にシャリ桶を示して、
「握つてごらん。」
と一言言ひました。
その時の男の子達の顔と言つたら。
7年生は明らかにオドオドしてゐます。5年生は助けを求めるやうに花板さんの方を見て、意外な事に一番嬉しさうにしてゐたのは、一年生の彼でした。
大将が頷くと、花板さんが鮮やかな手つきでマグロを何枚か切つて寄越しました。
それから、それぞれの握つたマグロの寿司を食べた訳ですけれど、これがまた、一口に上手とか下手とか言へないやうな味だつたのです。
俺は「生意気を言ひますけど、」と大将に断つてから、正直な感想を告げました。
「生きてゐる、生きてゐない…つて感じかな。」
花板さんは小さく頷くと、また、他のお客さんの前に立ちました。大将はまあまあかな、と云ふ顔で笑つてゐます。
当の男の子達は、俺の感想よりも大将が気になるやうで、神妙な顔つきで大将を見つめてゐました。
俺はその時、ネタの味でもなく、シャリの味でもなく、寿司と云ふ物の味を教はつた気がします。
それから大将は、花板さんに握らせたマグロと、自らが握つたマグロを並べて出してくれました。
どちらもそれぞれに余韻を楽しめる、素晴らしい寿司でした。
ところでマグロですけれど、北海道へ行つた時に、小樽の寿司屋でマグロを頼んだら、
「そんなの、内地でも食べられるでせう。」
と言つて、そこの大将がとびきり美味い烏賊と牡丹海老を出してくれました。
嗚呼、思ひ出しただけで、涎が…
元々、魚は好きだつたんだけど、実家にゐる時は食べにゆくのも出前を取るのも、親父の馴染みの寿司屋と決まつてゐたから、一度も他の寿司屋で食べた事はありませんでした。
バイトを始めてから、バイト仲間と回転寿司に行つたんだけど、当事の回転寿司は、今とは違つてとても寿司とは呼べない代物で、一回で懲りたつけなあ。
社会人になつて実家を出てから、一人で寿司屋にゆくやうになりました。
初めは東京生まれの同僚に教へて貰つたり、“東京食べ歩きガイド”みたいなのを読んだりしながら、恐る恐る暖簾をくぐつてゐたけれど、同じ寿司なのに店によつて違ふのが楽しくて、途中から趣味みたいになつてゐました。
その頃に出逢つたのが大将です。
大将はマグロに拘つてゐて、様々なランクのマグロの様々な部位を、それぞれの持ち味を生かして料る事に、生き甲斐を感じてゐると言つてゐました。
俺みたいな、たいして味も判らず金も使はない若造にも、いつもにこやかに接してくれて、何度か通ふうちに、マグロに纏はる色々な話を聞かせてくれるやうになりました。
大将の店は大きくはないけれど、何人もの修行中の板さんがゐました。
一番長い人で15年。この人はいつも大将の脇にゐて、いはゆる“花板”さん。一方、座敷とカウンターを忙しく往き来して、おかみさんの手伝ひをしてゐたのが、一番若い17の男の子で、店に来てまだ一年と云ふ事でした。
ある日の事、大将と寿司の美味さについて話してゐた時に、大将がふと思ひついたやうに、何人かの男の子を呼び寄せました。
カウンターの中、花板さんの横に、7年、5年、そして1年生の男の子が並びます。
男の子達は突然の事に、やや不安さうにお互ひの顔を目だけで見てゐました。
他のお客さんの注文に応じてゐた花板さんは、弟弟子達の顔をちらりと見てクスリと笑ひました。
大将は男の子達にシャリ桶を示して、
「握つてごらん。」
と一言言ひました。
その時の男の子達の顔と言つたら。
7年生は明らかにオドオドしてゐます。5年生は助けを求めるやうに花板さんの方を見て、意外な事に一番嬉しさうにしてゐたのは、一年生の彼でした。
大将が頷くと、花板さんが鮮やかな手つきでマグロを何枚か切つて寄越しました。
それから、それぞれの握つたマグロの寿司を食べた訳ですけれど、これがまた、一口に上手とか下手とか言へないやうな味だつたのです。
俺は「生意気を言ひますけど、」と大将に断つてから、正直な感想を告げました。
「生きてゐる、生きてゐない…つて感じかな。」
花板さんは小さく頷くと、また、他のお客さんの前に立ちました。大将はまあまあかな、と云ふ顔で笑つてゐます。
当の男の子達は、俺の感想よりも大将が気になるやうで、神妙な顔つきで大将を見つめてゐました。
俺はその時、ネタの味でもなく、シャリの味でもなく、寿司と云ふ物の味を教はつた気がします。
それから大将は、花板さんに握らせたマグロと、自らが握つたマグロを並べて出してくれました。
どちらもそれぞれに余韻を楽しめる、素晴らしい寿司でした。
ところでマグロですけれど、北海道へ行つた時に、小樽の寿司屋でマグロを頼んだら、
「そんなの、内地でも食べられるでせう。」
と言つて、そこの大将がとびきり美味い烏賊と牡丹海老を出してくれました。
嗚呼、思ひ出しただけで、涎が…