幸せになりたい。
俺が今よりずつと若くて“性同一性障害”と云ふ言葉がまだ一般的ではなかつた頃。当事付き合つてゐた子が、突然、性転換手術をしたいと言ひ出した。
当然俺は反対した。
女の身体になるのならもう抱く事は出来ないと言つた。
小さい頃からずつと、自分の体の性別に違和感や嫌悪感が有つた事。
ゲイではなく、女性として男性を愛したいと云ふ事と。
彼は自分の中の葛藤や苦しみと向き合ふやうに、言葉を探しながら正直に自分の気持ちを語つてくれたのだが、それでも俺の気持ちは変はらなかつた。
全くの自分の都合で。
性別を変へるのではなく、本来の自分の性別に戻りたいのだと云ふ彼の気持ちを理解する努力もせずに、性別を変へるなんて無理な事だと切つて捨てた。
例へ恋人として続けられなくても、否定する必要は無かつた。
例へ理解する事が出来なくても、否定しないと云ふ方法で彼を応援する事が出来た。
今でも時折、後悔と共に彼の事を思ひ出す。
彼の揺れる心と身体が、いつか何処か静かな場所へ、辿り着く事を祈りながら。
当然俺は反対した。
女の身体になるのならもう抱く事は出来ないと言つた。
小さい頃からずつと、自分の体の性別に違和感や嫌悪感が有つた事。
ゲイではなく、女性として男性を愛したいと云ふ事と。
彼は自分の中の葛藤や苦しみと向き合ふやうに、言葉を探しながら正直に自分の気持ちを語つてくれたのだが、それでも俺の気持ちは変はらなかつた。
全くの自分の都合で。
性別を変へるのではなく、本来の自分の性別に戻りたいのだと云ふ彼の気持ちを理解する努力もせずに、性別を変へるなんて無理な事だと切つて捨てた。
例へ恋人として続けられなくても、否定する必要は無かつた。
例へ理解する事が出来なくても、否定しないと云ふ方法で彼を応援する事が出来た。
今でも時折、後悔と共に彼の事を思ひ出す。
彼の揺れる心と身体が、いつか何処か静かな場所へ、辿り着く事を祈りながら。
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- 2011/10/22(土) 23:13:41 |
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Senora.tへ。
Senoraの仰有る事はよく判ります。手術を受けるか否かを決めるのは彼自身であり、手術に伴うリスクも彼が自分自身の責任で負わなければなりません。
その人の痛みや苦しみ、喜びや幸せは、他人は推測するしかありません。
どんな人にも、痛みや苦しみから逃れたり、幸せを追う権利が有ります。
推測する事しか出来ない他人には、それを批判したり否定する権利は無いんです。
俺はたまたま、心と体の性別が一致して生まれてきました。だから彼の苦しみは判らない。
例え判ったとしても、苦しんでいるのは彼だから、やっぱり否定は出来ないんです。
はじめまして。twitterでお名前を拝見し、ここまで足を伸ばしてしまいました。jabequeさんが感じておられる苦しさは、たとえ性別や考え方の違いがあっても理解できる、普遍的な感情だと思いますよ。状況の差はあれど、私にも覚えのあることだし…。
twitterでいろいろな方と交流して感じたのは、「否定しない」ことの大切さと難しさですね。否定しないことで、状況を打破するチャンスが生まれるかもしれませんし、未知の領域にも入っていけるかもしれない…。
しかし悲しいかな、否定しないことで伴う責任の重さに耐えられないのもまた人間です。うーん、悟りへの道のりは険しい(笑)。
お弁当、主婦の私が落ち込むぐらい、美味しそうですね♪
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- 2011/10/19(水) 14:58:45 |
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