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帆を張るやうに胸を張れ

同性愛者のサラリーマンのblog

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本領発揮。

有季定型句を詠んでゐますつて言ふと、たいてい“自由律”をどう思ふかと聞かれます。
つまり、種田山頭火や尾崎放哉の詠んだ句の事なんだけど、あれは特別と言ふか、必然的にああ云ふ形になつたんだと思ひます。

テクニックではなく、必然。

“自由”と云ふ言葉が付くから勘違ひする人も多いみたいだけど、好き勝手に詠んでゐる訳ではなく必然だから俳句として認知されてゐるんだよ。
二人とも、きちんとした有季定型の句も詠んでるしね。

有季定型句と無季自由律俳句は別に対立してゐる訳でも、反目してゐる訳でもないしね。

印象的な言葉を叙情的に使ひ、季語を入れて、五七五調に仕上げた“なんちゃって俳句”や“おーいお茶俳句”で満足していゐる人もたくさん居るし、それを悪いとは言わないけど、本物の俳句はやっぱり魅力的。

自己流だからとかルールに囚はれたくないとか言ひつつ、それでも“俳句”と名乗りたいのは、俳句が魅力的だからでせう。

それならスタンダードを学べばいいのに。

“字余り”や“破調”は定型に入り切らなかつたからさう云ふ形になつただけ。
最初から出鱈目ぢやあ、つまんないでしよ。


  1. 詩歌
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comment

ハムおやぢさんへ。

  1. 2011/09/02(金) 22:50:28 |
  2. URL |
  3. jabeque
  4. [ 編集 ]
ラップかぁ。面白い捉え方ですね。
繰り返し、変わらずに訪れる四季を詠んでいる様で、やってくる毎日は新しいものですからね。奇を衒ったり、殊更に新しい事をしなくても“日々新た”なのです。

破格とラップ

  1. 2011/09/02(金) 09:39:51 |
  2. URL |
  3. ハムおやぢ
  4. [ 編集 ]
自由律は現代のラップにあたるんでしょうね。
型におさまらない、その語を除いてしまうと「思い」が伝えられない、こもらないという点で共通していますね。
多言すぎて、かえって過剰になってしまう欠点がありますが…。

古典の基礎をしっかり持った人間の方が保守的に見えてかえって大胆な革新を行ったりするものです。
真の保守は真の革新になりうるものなのです。

温故知新と推敲はこうやってつながるものなんだなと雑感しています。

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