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帆を張るやうに胸を張れ

同性愛者のサラリーマンのblog


寿司の話。

俺に寿司や刺身の美味さを教へてくれたのは、某寿司屋の大将です。

元々、魚は好きだつたんだけど、実家にゐる時は食べにゆくのも出前を取るのも、親父の馴染みの寿司屋と決まつてゐたから、一度も他の寿司屋で食べた事はありませんでした。
バイトを始めてから、バイト仲間と回転寿司に行つたんだけど、当事の回転寿司は、今とは違つてとても寿司とは呼べない代物で、一回で懲りたつけなあ。

社会人になつて実家を出てから、一人で寿司屋にゆくやうになりました。
初めは東京生まれの同僚に教へて貰つたり、“東京食べ歩きガイド”みたいなのを読んだりしながら、恐る恐る暖簾をくぐつてゐたけれど、同じ寿司なのに店によつて違ふのが楽しくて、途中から趣味みたいになつてゐました。

その頃に出逢つたのが大将です。
大将はマグロに拘つてゐて、様々なランクのマグロの様々な部位を、それぞれの持ち味を生かして料る事に、生き甲斐を感じてゐると言つてゐました。
俺みたいな、たいして味も判らず金も使はない若造にも、いつもにこやかに接してくれて、何度か通ふうちに、マグロに纏はる色々な話を聞かせてくれるやうになりました。

大将の店は大きくはないけれど、何人もの修行中の板さんがゐました。
一番長い人で15年。この人はいつも大将の脇にゐて、いはゆる“花板”さん。一方、座敷とカウンターを忙しく往き来して、おかみさんの手伝ひをしてゐたのが、一番若い17の男の子で、店に来てまだ一年と云ふ事でした。

ある日の事、大将と寿司の美味さについて話してゐた時に、大将がふと思ひついたやうに、何人かの男の子を呼び寄せました。

カウンターの中、花板さんの横に、7年、5年、そして1年生の男の子が並びます。
男の子達は突然の事に、やや不安さうにお互ひの顔を目だけで見てゐました。
他のお客さんの注文に応じてゐた花板さんは、弟弟子達の顔をちらりと見てクスリと笑ひました。
大将は男の子達にシャリ桶を示して、

「握つてごらん。」

と一言言ひました。
その時の男の子達の顔と言つたら。
7年生は明らかにオドオドしてゐます。5年生は助けを求めるやうに花板さんの方を見て、意外な事に一番嬉しさうにしてゐたのは、一年生の彼でした。

大将が頷くと、花板さんが鮮やかな手つきでマグロを何枚か切つて寄越しました。
それから、それぞれの握つたマグロの寿司を食べた訳ですけれど、これがまた、一口に上手とか下手とか言へないやうな味だつたのです。

俺は「生意気を言ひますけど、」と大将に断つてから、正直な感想を告げました。

「生きてゐる、生きてゐない…つて感じかな。」

花板さんは小さく頷くと、また、他のお客さんの前に立ちました。大将はまあまあかな、と云ふ顔で笑つてゐます。
当の男の子達は、俺の感想よりも大将が気になるやうで、神妙な顔つきで大将を見つめてゐました。

俺はその時、ネタの味でもなく、シャリの味でもなく、寿司と云ふ物の味を教はつた気がします。
それから大将は、花板さんに握らせたマグロと、自らが握つたマグロを並べて出してくれました。
どちらもそれぞれに余韻を楽しめる、素晴らしい寿司でした。

ところでマグロですけれど、北海道へ行つた時に、小樽の寿司屋でマグロを頼んだら、

「そんなの、内地でも食べられるでせう。」

と言つて、そこの大将がとびきり美味い烏賊と牡丹海老を出してくれました。

嗚呼、思ひ出しただけで、涎が…


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