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帆を張るやうに胸を張れ

同性愛者のサラリーマンのblog


障碍と云ふ事。

初めて会つた時、俺は翼の顔を見ないやうにしてゐた。
翼に会ふまで耳が聴こえない人と直接関はつた事がなかつたから、どう接したらよいのか判らなかつたんだ。
おまけに翼は口もきけない。会話は総て、その時一緒にゐた友達を通してだつた。

処が翼の方は実に自由だつた。
俺の扇子を奪ひ取り、缶ビールを一口飲み、人混みへ入る時は俺を盾にした。

よく笑ひ、よく食べ、よく歩く。ほつそりとした指が、ひらひらと手話を操る様に、俺はいつの間にか見惚れてゐた。

聾唖である事は確かに不自由だけれど、翼は自由だつた。寧ろ不自由なのは、おろおろと翼の後を追ふ、健常者の俺の方かもしれないと思つた。

障碍を大変な事、不便な事にしてゐるのは、寧ろ健常者の方なのかもしれない。
男と女、年寄りと子供では接し方が違ふやうに、障碍者には障碍者として接したらいいのだと思ふ。
区別は差別ではないのだと云ふ事。人と人とが触れ合ふ時に起こる様々な事は、どんな人とでも起こり得るのだから、必要以上に恐れる事は無いのだ。

そして必要以上に傷つける事も無い。

袖振り合ふも多生の縁。
人生と云ふ同じ道をゆくのなら、手の空いてゐる者や体力に余裕の有る者が、重い荷物に苦労してゐる者の荷物を持つてやればいいんぢやないかなあ。

だつてそれが“平等”つてもんだろ。


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