平等と云ふ事。
『障碍と云ふ事。』の追記と言ふか、平等についての俺の考へ方。
この世の中に“平等”なんて何処にも無い。だから作り出すんだ。
足りない所へ余つてゐる物を足して平にするのが“平等”だと俺は考へる。
与へる側は優越を感じる事無く、受け取る方は卑下する事無く、当たり前にそれ等が行はれる状態が、俺の思ふ平等。
個々の差異は優劣ではない。優劣を決めるのは人間の感情だから。
人間には理性と知性が有るから不可能ではないと思ふんだ。
動物にはそれが無いから“淘汰”と云う形で“けじめ”を着けてる。
人間になるか動物になるか、そのどちらでもない物になるかを選ぶのは自分自身。
それが知性。
それを責める権利は誰にも無い。そしてその代はりに、誰にも文句は言へない。
それが理性。
理想だとか現実だとかの前に、俺はただ人間でありたい。
この世の中に“平等”なんて何処にも無い。だから作り出すんだ。
足りない所へ余つてゐる物を足して平にするのが“平等”だと俺は考へる。
与へる側は優越を感じる事無く、受け取る方は卑下する事無く、当たり前にそれ等が行はれる状態が、俺の思ふ平等。
個々の差異は優劣ではない。優劣を決めるのは人間の感情だから。
人間には理性と知性が有るから不可能ではないと思ふんだ。
動物にはそれが無いから“淘汰”と云う形で“けじめ”を着けてる。
人間になるか動物になるか、そのどちらでもない物になるかを選ぶのは自分自身。
それが知性。
それを責める権利は誰にも無い。そしてその代はりに、誰にも文句は言へない。
それが理性。
理想だとか現実だとかの前に、俺はただ人間でありたい。